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水俣簡易裁判所 昭和32年(ろ)64号 判決

被告人 釜善作

主文

被告人は無罪

理由

本件公訴事実の要旨は「被告人は昭和二十七年十一月十三日頃森魁から同人所有に係る水俣市浜字竹之内二千八百七十三番家屋番号浜第一二五〇番 一、木造瓦葺平家建住家一棟建坪二十四坪七合を買受け居住しているものであるが同二十八年十一月六日水俣簡易裁判所で同年同裁判所(1)第三一号家屋収去調停事件に対する調停において右調停申立人竹下盛保に対しこれを十六万円で売渡すことに調停が成立し即日その旨調書に記載されて右建物は申立人竹下盛保の所有に帰したにもかかわらず当時右所有権移転登記手続が為されてなかつたのを奇貨として同三十年十月二十日熊本地方法務局水俣出張所においてこれを建物登記簿上の所有者森裕から被告人の長男釜晴士名義に所有権が移転した旨の登記を為すと共に同時同所で擅にこれを被告人等の朝日商事有限会社に対する債権極度額七万円の担保に供する根抵当権設定の登記をなしこれを横領したものである」といい右所為は横領罪として刑法第二百五十二条第一項に該るというのである。

当裁判所が審理した結果によると水俣市浜字竹之内二千八百七十三番家屋番号一二五〇番 一、木造瓦葺平家建物住家一棟此建坪二十四坪七合(調停調書には番地、坪数について誤謬があるようである)は元森功(旧名森魁)所有(登記簿上の所有名義人森裕)であつて被告人は昭和二十七年十一月十三日森功より右建物を代金十二万円で買受け、移転登記手続を経ないまま右建物の一部に居住し、他の一部には従前より居住していた寺岡清がそのまま居住し昭和二十八年十一月六日当裁判所の調停事件で調停が成立し調停申立人竹下盛保に対し右建物を代金十六万円で売渡すこととなり、翌七日内金五万円を領収し同二十八年十一月末日には調停条項による家屋明渡の準備を完了しその旨竹下盛保に通告し、竹下に対し残代金の支払を求めたが竹下は寺岡清占有部分についての明渡がないことを理由としてその支払を拒否したものである。よつて被告人は竹下の債務不履行によつて調停においてなされた売買契約はその効力を生ぜないものと解し再び元の家屋に居住することとなり昭和三十年十月二十日登記簿上の所有名義人森裕より被告人の長男釜晴士名義に所有権移転登記手続、同日被告人等の債務について水俣市浜七百六十三番地朝日商事有限会社に対して債権極度額七万円の根抵当権の設定登記手続をなし、何れもその旨の登記がなされている事実を認めることができる。

調停条項によると

一、相手方(釜善作)は申立人(竹下盛保)に対し水俣市大字浜字竹之内二、八七一番地所在木造瓦葺平家建住家一棟建坪十八坪五合を金十六万円にて売渡すこと

二、申立人は相手方に対し前項買受代金の内五万円を昭和二十八年十一月七日午前十時水俣簡易裁判所に於て支払い残額十一万円は昭和二十八年十一月末日迄に相手方が本件建物を明渡と同時に支払うこと

三、相手方は申立人に対し前項残額十一万円を受領と同時に申立人の為に所有権移転登記を為すこと

四、調停費用は各自弁とすること

というのである。特定物の売買において、当事者間に特別の意思表示がなく代金全額が支払われたような場合には売買契約成立と同時に目的物の所有権は買受人に移転するものと解されるのは当然であろうが、代金の支払、その他の条件が付されている場合にはその趣旨については契約内容全般にわたり考察し且つ当事者間の利害についても公正に考慮の上認定すべきものであろう。右調停条項の第一項には十六万円にて売渡すこととあり第二項には残額十一万円は昭和二十八年十一月末日迄に相手方が本件建物を明渡と同時に支払うこと、第三項には前項残額十一万円を受領と同時に申立人の為に所有権移転登記手続を為すことというのであるから以上の各条項と調停が成立した場合の調停条項は契約の内容によつてはそれが強制力をもつ債務名義たりうるものであることとを合せ考えてみると右調停条項の趣旨は建物の明渡と、残代金の支払を同時に履行することによつて契約の効力を完全に生ずるいわゆる停止条件付内容を有する売買契約なりと解するを相当と信ずる、してみると被告人が建物明渡の準備を完了して竹下盛保に対してその旨通告し、同人に対し残代金の支払を求めたのに対して同人は寺岡清占有部分についての明渡の履行がないことを理由として残代金の支払を拒否したものであることは証拠上明かである。竹下盛保は右調停申立当時より右建物の一部に寺岡清が居住占有していることは承知していたところであり、それにもかかわらず右調停申立には寺岡清を除外しており調停条項にも寺岡清占有部分について何等の明示がなく、また調停事件の性質上よりしても調停条項に寺岡清占有部分の明渡が条件に含まれていたものとは解されない、そうであれば条件の成就を妨げたものは竹下盛保の債務不履行によるものであつて被告人にその責はないものというべきである。

停止条件付売買契約が相手方の条件不履行によつてその効力が生ぜない場合には未だもつて契約目的物の所有権は買受人に移転しないものというべきであるからその後に至り右売買契約の効力は生ぜないものと解して登記簿上の所有名義森裕より直接被告人の長男釜晴士の為めの所有権の移転、朝日商事有限会社に対する根抵当権設定行為などの処分的行為をなしたとしてもそれをもつて被告人が占有する竹下盛保所有の建物を不正領得の意思をもつて処分したものとは認められない以上説示のとおりであつて本件記録中の全証拠をもつてしても右認定を動かすことはできない。その他に本件公訴事実を証明するに足る証拠はない。

よつて本件は犯罪の証明が十分でないということに帰するから刑事訴訟法第三百三十六条に則り主文のとおり判決する。

(裁判官 松本幸太郎)

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